自戒を込めて、独断と偏見による「使わない方が良い」と思う話し方の忘備録。
たまに更新されます。
「使わない方が良い」と思う話し方メモ
何かを誉めるときに、 何かを下げる
「○○は最高!!△△なんかとは比べ物にならない!」
何かを上げるために何かを下げる必要はない……場合が多いと思います。
下げられた方は、多分ヘコみます。
仮に何かを比較するときでも、それぞれに配慮する気持ちを忘れたくないものです。
常識やマナーの威を借りる
「○○は常識!そのくらい分かれ!」
コミュニケーションを円滑にするために、そのコミュニティの”常識” や”マナー“知るのは悪くないとは思います。
しかし、それが行き過ぎて ”常識” や “マナー” を使って他人を攻撃するのは良くない気がします。
少なくともみんな生まれたときは”常識”や “マナー”を知らないですし、”常識”や “マナー” は時代と場所によって変わります。
「所詮、その程度のものだ」と頭の片隅には置いておきたいです。
自分の時代の苦労を次世代にも背負わせていく
「昔はこんなものは無かった!同じようにするべき!」
技術革新の勢いが速さと、平均寿命の延びにより、以前にも増して情報リテラシーの格差が広がっています。
そして、新しい知識や技術の習得・導入に学習コストがかかるのは事実でしょう。
しかし、新しい事象を取り入れない理由に「昔もこうだったから、変えなくても良い」は真っ当な論理展開とは思えません。
現代において、狩猟採集民になるのが最善の方法ではないはずです。
「その程度の人間」レッテルを貼りにいく
「そういうことを言う(or やる)っていうことは、所詮”その程度の人間”だ!」
自分がどの程度の人間かを推し量るのも難しいのに、他人の些細な一面で「人間の程度」を正確に判断できるのでしょうか。
したがって、このような言い回しに対しては
他人の悪口を言う時は、自分が言われて1番嫌な言葉を言っている。
という言葉を思い出してしまいます。
メタ的に言い返す
「人をバカにするヒマがあるなら、○○した方がいい!」
この言い回しは、「人をバカにした人」を、メタ的にバカにし返しているので、結局は相手に対して同じことをしていると感じます。
つまり、
①まず、最初に相手(A)は、自分(B)の言動に対して、なにかしら自分(A)の方が相手(B)より優れた考えや知識を持っていると示している(=バカにしている)
これに対して
②自分(B)は相手(A)に対して「人をバカにするヒマがあるなら○○した方がいい」という優れた考えや知識を持っていると示している(=バカにしている)
という構造になっているので
やっていること自体は変わらないのではないか…と。
そして、この言い回しを反論として使っている人は、これに気付いているのか…?と感じます。
「やられたらやり返す」は絶対ダメじゃないと僕は思います。
でも、ともすればこの言い回しは「自分が相手に反撃していることすらも隠しながら反撃できる」言い回しである気がして。
基本的には、人からバカにされたら「人からバカにされたことを気にするヒマがあるなら○○した方がいいな」と自分の中で思えるようになりたいです。
「いい歳」という枕詞をつける
いい歳して○○できないとはダメだ!
人間の能力値や、成長速度にはバラつきがあります。
捨て台詞としてならまだしも、年齢を根拠とした批判は具体的な解決策に繋がりにくいと思います。
これらの論法に対して、むやみやたらに反論する
自分に厳しく、他人に優しくありたい。
そして、世の中に分かり合えない人間はいます。そんなときは、そっと距離を置きたいものです。
どこでカードを切るか
もちろん、こういう言い回しと概念が存在する以上、100%使ってはいけないわけではないとは思います。
「何であっても選択肢として持っておく分には構わなくて、そのカードを切るかどうか、切るならどこで切るか」という視点もまた大切な気がします。