近年はインターネットの発達とSNSなどの隆盛によって、たくさんの情報が手軽に得られます。
しかし、一方で「多すぎる情報に心の平穏が乱される場合がある」とも感じます。
そんな中で、心の平穏を保つためにやっている工夫を紹介します。
スマホの使い方の工夫
スマートフォンは便利です。
一台で地図、翻訳、メモ、調べ物…いろいろできますよね。
今や、スマホ無しの生活は不便極まりないでしょう。
一方で、特に用事も無くスマホをダラダラ眺めるのは有意義な時間の使い方だとは思えません。
僕が対策として実践しているのは
- ゲーム系のアプリはインストールしない。
- SNS系は、PCから投稿できないものだけ入れておく。(Instagramなど)
- SNS・漫画系は使用時間が合計して1日30分を越えるとロックされる設定する。
- 寝るときは起き上がらないと手の届かない場所に置く。(ベッドでは一切触らない)
あたりです。
ポイントは「意志の力で我慢・節制しようとしない」だと思います。
無いものは視界に入らないし、ロックされればわざわざ解除しなければ使えません。
「自分が流されてしまいそうな2、3歩手前に”ルール”や”壁”を作っておく」と、使用時間をセーブできると思います。
スマホは”受信用の装置”
少なくとも現段階では、プログラムを書いたり、音楽を作ったり、動画編集をしたり…発信用のコンテンツを作るにはPCを使うしかありません。
たしかに、スマホやタブレット端末でも上記の作業は不可能ではありません。
しかし、出来ることの幅や効率の良さには雲泥の差があります。
スマホやタブレット端末は、あくまでも受信用の装置だと位置付けておくべき だと考えます。
人間が「ネガティブな情報に敏感」であるのを自覚する
人間は情報の多くを視覚から得ているらしく、視覚からの情報を無視するのは困難です。
そして、人間は生存本能からネガティブなものに反応しやすくできているようです。
つまり、視覚に飛び込んでくる数々のネガティブなニュースが気になるのは、心構えや性格のせいではなく「人間がそのようにプログラムされているからだ」と言えると思います。
…冷静に考えてみると大概のネガティブなニュースはさほど自分に関係ないと気付きます。
したがって、意識して積極的にネガティブな情報を遮断していく意志を持つようにしています。
SNS
昔は楽しく眺められたX(旧Twitter)などのSNSも、いつしかインプレッション数のために“コピーライティング”の粋を結集させた見出しや文章が跋扈する空間になってしまった気がします。
前述したようにコロナ禍を機にスマホから削除して、今はPCからのみ閲覧しています。
たまに呟いて、友達の呟きとエゴサ結果(悪口じゃないやつ)が見れれば今の僕には十分です。
さいごに
こういった工夫によって生まれた時間を使って、ぼんやりと自然を眺めたり軽い運動をしたりするだけで以前よりかなりリラックスできている気がします。
テクノロジーの良い部分は上手く活用して、できるだけ穏やかに過ごしたいものですね。