「なぜ勉強をしなくちゃダメなの?」
「勉強になんの意味があるの?」
みたいな質問・疑問はよく耳にします。
…実際には、本当に”勉強する理由”を知りたいのではなく、”勉強する辛さ“に対する共感や応援を求めている場合も多い気もしますけれど。
しかし、ある程度納得できる”勉強する理由“や”勉強する意味“を見つけられれば、少しは”勉強する辛さ“が軽減されて頑張れるかもしれません。
僕は“勉強する理由”を収集するのがわりと趣味だったので誰かの参考になればと思い
今回、“勉強する理由”を
1.「勉強をしないと大変な目にあうぞ」系
2.「役に立つから」系
3.「実は勉強って楽しい or 余裕」系
の3つのカテゴリーに分けて合計15個まとめてみました。
ちなみに、一口に”勉強“といっても
「学校の勉強=勉強」とする場合もあれば
「全ての学び=勉強」とする場合もあります。
この記事では、どちらの意味の“勉強“にも触れているので、今の自分に使えそうな考えを持って帰ってください。
では、いってみよう!(๑˃̵ᴗ˂̵)و
1.「勉強をしないと大変な目にあうぞ」系
まずは、”恐怖“によって奮い立たせる視点。
わりと子どもに勉強をさせようとする親が使いがちな論理展開です。
ただ、基本的にはポジティブな理由で勉強に取り組めないと、いざ”恐怖”が無くなった時に勉強しなくなる可能性が高いです。
したがって、特に「説得」に使う場合は注意が必要だと思います。
①勉強しないと”良い職業”を選べない/就職ができない
何を以って”良い職業“なのか は一概に言えません。
しかし、「危険で辛く賃金の低い仕事」を進んでやりたい人は少ないでしょう。
この論理展開は、「勉強をしないとそういう仕事しか選べなくなる / 就職ができない」という脅しです。
もちろん、この論理にはさまざまな例外があるとは思います。
たとえば、危険性が低くて賃金が高くても精神的に追い込まれる職業もあります。
また、賃金に関しても「価値」は、希少性やブランディングによっても変わるでしょう。
「勉強」を頑張れば、必ず100%”良い職業“に就けるわけではないはずです。
だからといって、「全くの嘘」でもないでしょう。
(もしくは、価値の生み出し方を学び、考えるのも”勉強”と解釈できるはずです。)
ちなみに、明治時代の教育者である福沢諭吉の著書『学問のすゝめ』の冒頭にも
「神様は人間を平等に作る」って言うやんか。
福沢諭吉
でも、現実には”身分や収入が違う人”が居るのは何でやと思う?
それは、”勉強しているか・勉強していないか の差“や。
(※僕の勝手な超絶適当関西弁現代語訳のため正しくは原文を確認してください。Kindle版は0円でダウンロードできます。)
みたいに書いてあります。
②「学校の勉強」もできない人に何ができるのか
「”学校の勉強”が何の役に立つの?」という人が居ますが、
むしろ、”学校の勉強もできない人”が何の役に立つのですか?
学校の勉強(高校あたりまで)は、それなりの答えがあり、体系的にまとめられた知識を学びます。
しかし、世の中には答えのない複雑な問題が溢れているので、「体系化された知識すら修得できない人に何ができるのか?」というエッジの効いた論理展開です。
ただ、人間には得意・不得意があるので必ずしも「学校の勉強ができない=役に立つ人間になれない」では無いとは思います。
③「勉強しなくて大丈夫」と言っている人には「生存者バイアス」がかかっている。
反対に、世の中には
「私は勉強はやらなかったけど成功できたよ」
「学校の勉強なんて社会に出たら使わないよ」
と言う人がいます。
しかし、これは「生存者バイアス」にまみれた意見なので、「じゃあ自分も勉強しなくても大丈夫か」となる前に一考の余地ありです。
「生存者バイアス」は何らかの選択過程を通過できた人・物にのみを基準として判断を行い、通過できなかった人・物は見えなくなるため それを見逃してしまうという誤謬である。
映画俳優、スポーツ選手、ミュージシャン、学校を中退した数十億ドル規模の企業のCEOなど、夢を追い求め競争に打ち克った人々の話が、メディアではよく取り上げられる。
才能を持っているが、本人の力ではどうすることもできない要因や(一見して)ランダムな他の出来事のために成功を見出すことができない多くの人々に焦点が当てられることは、それよりもかなり少ない。
これは、「能力を持ち努力をすれば誰でも素晴らしいことを達成できる」という誤った認識を生み出す。
世間の目には、圧倒的多数の失敗は見えず、競争環境の選択的圧力を乗り切った人々だけが定期的に見られる。
生存者バイアス
まず、そもそも勉強と成功に因果関係があるのかは簡単には示せません。
しかし、”勉強をやらなくて成功できた人“は注目されるので「私は勉強をやらなくても成功できたよ」と自分の経験を他の人に発信できる立場になりやすく、
反対に、”勉強をやらなくて成功できていない人“はそもそも注目されないので「私は勉強をやらなかったから成功できていないよ」と自分の経験を他の人に発信できる立場になりにくいわけです。
したがって、偏った目立つ情報のみを判断材料にすると判断を誤る可能性があるのです。
④無知であると損をする。
「勉強をしないと、無知で損をする。」
有名な漫画「ドラゴン桜」でも語られている論理です。
ドラゴン桜の論理
「お前らこのままだと、一生騙され続けるぞ。社会にはルールがある。その上で生きて行かなきゃならない。
そのルールってやつは、全て頭の良い奴がつくってる。
つまりどういうことか。
そのルールは全て、頭の良い奴に都合のいいようにつくられてるってことだ。
逆に、都合の悪い所は わからないように上手く隠してある。
だが、ルールに従う者の中でも、賢い奴は そのルールを上手く利用する。例えば、税金。年金。保険。医療制度。給与システム。
みんな、頭の良い奴がわざと分かり難くして、ろくに調べもしない頭の悪い奴らから多く取ろうという仕組みにしている。
つまり、お前らみたいに、頭を使わず、面倒臭がってばかりいる奴らは、一生騙されて高い金払わされ続ける。
賢い奴は、騙されずに得して勝つ。バカは騙されて損して負け続ける。
これが、今の世の中の仕組みだ。だったら騙されたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら、勉強しろ!」
講談社 – ドラゴン桜
僕も、中学生くらいのとき初めて聞いた時は「なるほどなぁ」と思いました。
身近に潜む”お金を失う罠”の例
いくつか具体例を紹介します。
- 宝くじ(確率的には買った時点でお金を半分以上失うギャンブル)
- 消費者金融(えげつない金利の借金)
- リボ払い(えげつない金利の借金)
…何より「怖い」と思うのは、ここらへんのヤバイものが堂々とキャッチーなCMで宣伝されているところですかね…。
知識は力なり
さらに、“無知“で損をするのは、お金だけではありません。
時には、命も危険に晒します。
(TVインタビューで「津波に乗ってみたい」と答えていたサーファーがいたことに対して)
もし、海岸に居て大きな地震があったら、すぐ高台に上がらないといけないんですよ。
~(中略)~
知識があれば助かるわけですね。
このことを「知識は力なり」って言います。フランシス・ベーコン、イギリスの哲学者の言葉ですけど。
僕は地球科学を教えていて「知識は力なり」っていうことを、そのサーファーの女の子に伝えたい。皆さんにも伝えたい。日本国民全員に伝えたい。
つまり、やっぱりこれが学問のベースだと思うんですよ。
鎌田 浩毅
2.「役に立つから」系
次は、「勉強って役に立つし、お得だからやっとけよ!」という視点です。
⑤「人類の英知をいい感じに圧縮したもの」を、10年前後で学べる
人類が数千年積み上げてきた知識や技術のうち、
比較的汎用性の高いものを約10年で学べるのが、学校の勉強です。
もちろん、技術や価値観の移り変わりが激しい現代では
「なんで今の時代でも学校で○○をやる必要あるの?」
「なんで今の時代に学校で○○を教えないの?」
という内容もあろうかと思います。
しかし、少なくとも「読み・書き・そろばん」に準ずる内容は、それなりにどんな分野でも役立つでしょう。
巨人の肩に乗る矮人
Googleの論文検索サービス「グーグルスカラー」のスローガンには「巨人の肩の上に立つ」という言葉が使われています。
これは、「先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見すること」を指します。
現代では、学校の勉強に加えて、本やインターネットを開けば、「先人が歩いた道のり」や「天才が人生を捧げて発見した知識」に簡単に出会えます。
つまり、昔に比べて遥かに手軽に“巨人”に登れるわけです。
こう考えるとなんだかワクワクしませんか?
私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。
アイザック・ニュートン
⑥「学校の勉強」は報われる確率が高い
スポーツや芸能など、一芸に秀でると大きな評価を得る可能性があります。
しかし、それはほんの一握りの話。
分野にもよりますが、大きな成果を得るのは挑戦者の1%以下と言われます。
一方、学校の勉強の場合は難関大学と呼ばれる大学への進学率が約10%です。
つまり、10人に1人くらいの能力を身に付ければそれなりの評価が受けられます。
芸事も勉強も、頑張ったから必ず報われるとは限りませんし難関大学に入るのが良いのかどうかも人によると思います。
しかし、他の分野に比べると報われる確率が高く、汎用性もあるのが学校の勉強です。
もちろん、学校の勉強に力を入れつつ芸事にも打ち込むスタイルも良いと思います。
⑦将来の選択肢が広がる
たとえば、10000円を持っていたら、10000円のものも、500円のものも自由に選んで買えます。
しかし、500円しか持っていなかったら500円のものしか選べません。
学校の勉強に限らず「知識は人生の選択肢を広げる」という視点です。
⑧早めに知識を身に付けると、長い間その恩恵を受けられる
たとえば、10ダース分の鉛筆は全部で何本か数えたいとき (※1ダースは12本)
掛け算を知っていれば 12 × 10 = 120
…瞬殺です。
しかし、足し算しか知らなければ
12 + 12 + 12 + 12 + 12 + 12 + 12 + 12 + 12 + 12 = 120
みたいな効率の悪い計算をしなければなりません。
さらに、足し算も知らなければ、
120本全部順番に数える必要があります。
そして、数の数え方を知らなければ、
数えられる人を探して頼まなければいけません。
このように持っている知識で、問題を処理するためのコストやスピードは格段に違います。
そして、色々な知識を早い段階で身に付けると、残りの人生ずっとその知識の恩恵を受け続けられます。
こう考えると、一刻も早く勉強をした方が得すると思いませんか?
もちろん、反対に「○○歳になったから遅い」わけではありません。
物事に取りかかるべき一番早い時は、あなたが「遅かった」と感じた瞬間である。
という言葉もあります。
誰しも「今日」が残りの人生で一番”早い日“です。
⑨普通に役に立つ
「○○がどう役立つの?」に対して身も蓋もない答えですが。
国語、数学、理科、社会、音楽、美術、体育などなど…。
どの教科の知識も、さまざまな場面で普通に役に立ちます。
したがって、勉強が何の役に立つか分からない場合は学んだ知識を問題の解決へ応用する力(メタ的な思考)が欠けているのかもしれません。
そもそも、「教科の分類」は勉強をしやすくするためのカテゴライズです。
実際にはそんな境界線は存在しません。
All religions, arts and sciences are branches of the same tree.
すべての宗教、芸術、科学は、同じ一つの木の枝である。
アルベルト・アインシュタイン
「サイエンスは一つのものです。
寺田寅彦
物理学をやるにしても、他の多くの部門の知識が必要です。
自分の専門以外のことをちっとも知らなかったために、回り道をしたりして、
つまらぬ損をすることは少なくありません。
けっしてフィールドを狭くしてはいけません。」
僕は教科で分類するところの”音楽”が専門です。
しかし、「教科の線引きでは音楽ではないもの」も非常に役に立っています。
パッと思いつくものだけでも、このくらいあります。↓
- 国語→ 歌詞や文章を書くため、情報を得るために役立つ。
- 数学→ そもそも音楽は数学的なシステムの上に成り立っている。
- 社会→ 音楽史を学ぶ時に役立つ。
- 理科→ 「音」は物理現象。
- 英語→ 英語の方がインターネット上に情報が多い。
- 美術→ アートワークやミュージックビデオを作れる。
- 体育→ 楽器演奏は体の動かし方が重要。また、創作活動は健康な身体から。
- 情報→ コンピューターが使えるおかげで一人でも作曲ができる。
⑩知識は奪えない
人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。それは知識である。
ユダヤの格言
長い間、土地を奪われ、国から国へと追われたユダヤ人の歴史を学ぶと「なるほど」と思える言葉。
モノは奪われる可能性があります。
しかし、知識を脳内から奪うのは(少なくとも現代の技術では)無理ですよね。
⑪未来を予測できる
「歴史は繰り返す」ともいいます。
全く同じことは起こらないにせよ、”過去にあった同じような事例“の知識で、対処できる問題は多くあります。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
ビスマルク
3.「実は勉強って楽しい or 余裕」系
最後は、「勉強はつらい」と思うかもしれないけど「それは本当なのか?」という視点
⑫できるようになれば好きになるんじゃないか
勉強がきらいなのは、「できないから」ではないでしょうか。
つまり
できない→きらい→やらない→できない… のループに陥っているわけです。
たとえば、ある数学が苦手な人の”数学をきらいになった原因“が、実は「小学生のときに、他のクラスメイトより少し計算が遅かったから」みたいな場合もあり得ると思います。
後から振り返れば些細な出来事でも、当時は大きなきっかけになり得るものだったのでしょう。
この悪いループをどこかで
できる→すき→やる→できる…
の良いループに移行できれば、あとはこの良いループに身を任せるだけで苦労せずとも勉強に取り組める人になります。
騙されたと思って、一度気合いを入れて頑張ってみると良いかもしれません。
「好き/嫌い」っていうのは実はかなりいい加減。
結局はな、情報量の多い・少ないで決まってくるんだなぁ。~(中略)~
「英語嫌い」と言ったくせしてな
なんと、情報量が増える中で、成績が伸びてくる中で大学で英語を専攻してしまった。
それどころかな、英語嫌いだったくせして、なんと”英語の教師になっちゃった!“
というやつもいるからな。この俺だな。
渡辺 勝彦
もちろん、これは学校の勉強に限った話ではありません。
僕も、音楽を作るとき「ミックス」という作業が全く好きではありませんでした。
しかし、それなりにできるようになってからはとても楽しくなりました。
⑬自分に合わない難易度をプレイしているから面白くない。
世の中には、いろいろな人気ゲームがあります。
人気ゲームの面白さの理由の一つに「難易度が“簡単すぎず、難しすぎない絶妙なレベル”に調整されている点」が挙げられます。
難しすぎるゲームはやる気が無くなりますし、簡単すぎるゲームもすぐ飽きてしまいますよね。
僕たちは
ちょっと頑張ったら越えられる絶妙なハードル
を乗り越えたときに達成感を得てゲームにハマっていき…ハマればたくさんプレイするので、操作も上手くなるわけです。
学校の勉強も一応、学年に合わせた難易度設定はされています。
しかし、ゲームと違ってちゃんとクリアしなくても時間が経てば強制的に次のステージに進みます。
特に数学や理科は、それまでの勉強内容のクリア(積み上げ)を前提としている内容が多いです。
したがって、「どこかで躓くと、その先ずっと躓きっぱなし」状態になるのです。
躓いたまま高校生あたりまでいってしまうと…
まるでポケモンで最初のジムリーダーに勝てていない人が、強制的にポケモンリーグの四天王と戦わせられている状態です。(瞬殺されるので、経験値も貯まらない)
特に学生時代は、「周りと比べて自分だけレベルを下げて勉強し直すとかカッコ悪い…」と思ってしまう人もいると思います。
しかし、一旦周りは気にせず自分にあったペースと難易度で“勉強をプレイする”姿勢も大切ではないでしょうか。
他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
ジョン・ラボック
しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。
⑭人間の発達には個人差がある
人間の発達には個人差があります。
したがって、ある部分の能力の発達が比較的遅れていたために、特定の分野に苦手意識を持ってしまう場合もあるようです。
僕は専門家ではないので詳しくは分かりません。
ただ、聞くところによると人間の脳は大体25歳前後で発達が完了するらしいです。
また、身体面でも、4月生まれの方が身体の発達が早いので、スポーツの自己肯定感を得やすく有利だという記事もあります。
裏を返せば、学生時代は苦手だった教科に大人になってから取り組むと、意外とスムーズに学習できる可能性もあるわけです。
⑮「世界の見え方」が変わる
勉強をすると「世界の見え方」が変わります。
僕は写真の勉強してから、今まで視界に入っていたはずの景色が、全く違って見えるようになりました。
このサイトに掲載されている写真は、ほぼ全て僕が撮影したものです。
また、プログラミングを勉強してからは、より物事を抽象的に考えられるようになった気がします。
そして、音楽はずっとやっているので、音楽をやらない人に比べて色々な視点で考えたり眺めたりできている気がします。
どれもとても楽しく、素敵な状態だと感じます。
このように、勉強によって多角的な視点が身に付き、「日々の生活が豊かになる」という考え方です。
(勉強をすると)当たり前の光景の中にも楽しいものがたくさん増えていくからね。
~(中略)~
スポーツ観戦の時にルールを知らないと楽しくないのと同じで勉強っていうのは楽しいことを増やすため=人生を豊かにするためのもの
ヨビノリたくみ
さいごに
じゃあ「ひたすら勉強するのが良いか」と言えばそれも”絶対的な正解”では無いかもしれません。
人間に与えられた時間は有限なので
- 「その知識を身に付けるためにかかる時間」
- 「自分の得意・不得意との関係」
- 「時流との相性」
など様々な要素に照らし合わせて、“何を学ぶかべき”かを考える必要もあると思います。
逆説的に、こういう判断を的確にするために「勉強が必要」とも言えるでしょう。
ただ、色々な考え方がある中で「何からでも学び取ろうとする姿勢」は持っていて良いかもな…とは感じます。
また、ある意味「勉強するか・しないか」をはじめとした人間の行動は、環境や習慣にも大きく左右されます。
つまり、現在の状況と照らし合わせて自分自身に自分が有利になる行動(=勉強)をさせるには、まずは「何が正しい理由か?」ではなく、「どんな手段を使って自分を動かすべきか?」を考えた方が良いとも言えそうです。
この記事の内容が少しでも役に立てば幸いです!
では!(๑˃̵ᴗ˂̵)و